脳科学✖️AIで実現するDEI社会

DEI社会という言葉をご存知でしょうか。DEIとは「Diversity(ダイバーシティ、多様性)」「Equity(エクイティ、公平性)」「Inclusion(インクルージョン、包括性)」の頭文字からなる略称で、あらゆる人が公平に扱われ、尊重され、組織・社会において包括される取り組みを指します。多くの企業や組織でもDEIへの注目が高まりつつありますが、今回は脳科学とAIの融合によってDEI社会の実現を目指している慶應義塾大学理工学部生命情報学科 教授の牛場潤一先生にお話を伺いました。未来を照らす最新技術のお話をぜひお楽しみください。

牛場潤一先生プロフィール写真

牛場潤一(うしばじゅんいち)慶應義塾大学理工学部生命情報学科 教授。2001年、慶應義塾大学理工学部物理情報工学科 卒業。2004年、博士(工学)取得。同年、慶應義塾大学理工学部生命情報学科に助手として着任。2007年同専任講師、2012年同准教授を経て、2022年より現職。2014~2018年、慶應義塾大学基礎科学・基盤工学インスティテュート(KiPAS)主任研究員。2019年より研究成果活用企業LIFESCAPES株式会社(旧 Connect株式会社)代表取締役社長を兼務。共著書に『バイオサイバネティクス 生理学から制御工学へ』(コロナ社)がある。The BCI Research Award 2019, 2017, 2013, 2012, 2010 Top 10-12 Nominees、文部科学省「平成27年度若手科学者賞(ブレインマシンインターフェースによる神経医療研究)ほか、受賞多数。


慶應義塾大学理工学部ウェブサイト:http://www.st.keio.ac.jp

牛場潤一研究室ウェブサイトhttps://www.brain.bio.keio.ac.jp

脳科学とAIを融合したBMI技術

牛場先生のご研究について教えてください

脳と機械を接続して身体運動を補助するBMI技術というものを研究しています。BMIとは、脳のブレイン(Brain)と機械であるマシン(Machine)つなぐインターフェース(Interface)の頭文字をとったものです。脳波の情報をAIが読み取って、機械に反映させたり、パソコンに投影したりという技術になります。

BMIは近年非常に注目を集めている研究分野なんですよ。Natureという著名な科学学術雑誌で、その姉妹誌であるNature Electronics誌では毎年注目の技術が選出されるのですが、2023年はBMI技術が選出されました。2022年は電気自動車や自動運転、2021年はデジタルとパンデミック、2020年は5Gが選出されています。

また、電気自動車(テスラ社)や民間宇宙ロケット(スペースエックス社)を開発している連続起業家のイーロン・マスク氏も、ニューラリンクというBMIの会社を作っていて、人間の脳に直接インプラントを埋め込み、脳波で信号を外に出すという臨床試験もすでに行われています。

産業界でも大きな進歩を遂げていますが、このBMI技術の発展には、近年急速に発達したAIの進歩も貢献しているといえるでしょう。みなさんの携帯にも音声認識のAI機能が備わっていると思いますが、これは音声の波を認識して分類しているんです。人間の脳の活動を表す脳波も波なので、AIで波を識別することができます。ですから脳波をAI分析することによって、今活動しているのは情緒系の脳内回路なのか、運動系の脳内回路なのかをリアルタイムに識別して、表示したりロボットの動作に反映させたりということが可能になっています。

脳波というものは、医療の世界では伝統的に、てんかん発作や脳死判定などに使われるほど信頼されているものですが、専門家しか読み取れないものでした。それがAIの登場によって、一気に民主化したといえますね。

BMI技術は現在どのようなことに応用されていますか?

すでに応用されているものとしては、手を動かそうと思った時に発生する脳波の変化を読み取って、アバターの動きに投影する技術があります。脳波を読み取るヘッドセットをつけ、脳波だけでアバターを自分の分身のようにコントロールできます。


また、病気やけがで失ってしまった脳の機能を治すためのBMIの研究も進んでいます。脳卒中や脊髄損傷で麻痺が残ってしまった人に、BMIを装着してもらいます。麻痺した手を動かそうとした時の脳波をAIで分析し、脳内に残っている運動系の神経回路が十分に反応したと判断したタイミングでロボットを動かします。こんなふうに、「脳が正しく働いたから、体が動いた」という感覚を脳にフィードバックすることで、脳のなかの傷を迂回する代償経路が作られるんです。

最終的には、BMIをはずした生身の状態でも、ご自身の神経をうまく使って、体を再び動かすことができるようになるんですよ。実際に、BMIを用いたリハビリによって動かなかった手が動くようになっています。脳波で機械を動かすだけでなく、機械が損傷した脳の回路も組み替えて、脳を治していくことができるのが、BMIという技術の大きな特長です。最近では、このようなBMI技術研究をベースにして作られた医療機器が販売されるようになりました。

牛場先生が装着するリハビリ用医療機器
牛場先生が代表を務める株式会社LIFESCAPESの医療機器

BMIブレインピックについて

BMIブレインピックというユニークなイベントを開催されていますが、どのようなものですか?

BMIブレインピックは、脳波を使ったeスポーツのイベントです。参加者は中高生と障がい当事者で、脳波を使ってFortniteのキャラクターを操作して競い合います。

BMI技術が、障がいの有無にかかわらず、日常や社会と繋がれる一助になると学んでもらいたい想いと、Diversity(多様性)、Equity(公平性)& Inclusion(包括性)のあり方の1つとして、障がいで制限がうまれることも、テクノロジーの力で乗り越えていけることを学んでもらいたい想いで開催しています。

障がいについて、知識として知っていても、実際に当事者と一緒にご飯を食べたり出かけたり、一つのことに取り組まない限り、自分ごとにならないと思っています。BMIブレインピックを通して「障がいってこういうことなんだ」というリアリティを感じてもらう一つのきっかけになったらうれしいですね。

今後もBMIブレインピックのようなイベントは開催する予定はありますか?

定期的に開催していきたいと思っています。若い人ほど先入観や思い込みがないので、偏見なくさまざまなことを受け入れられることも多いですから、若いうちに障がい当事者の人と一緒に何かに取り組んだ体験は、先々の人生にもすごくプラスになると思っています。

いつかNHKのロボットコンテストのように、BMIブレインピックコンテストなんてものを開催してみたいですね。全国の子どもたちと障がい当事者たちがチームを組んで、その障がい当事者ができること、できないことを平場で議論しながら、テクノロジーを最適化して、BMIでタイムトライアルする競技のような形に成長させていけたら面白いですね。

BMIブレインピック以外に、研究室での取り組みは他にもありますか?

研究室ではテクノロジーを活用したDEI(Diversity,Equity & Inclusion)の実現を目指して、様々な取り組みを行っています。

例えば、お子さん向けに、自宅で脳波分析AIを学べるe-Learning教材を開発しました。これはヘッドフォン型の脳波計を使って脳波をとり、Sonyが提供しているニューラルネットワークコンソール(ブラウザ上でパズルゲームのようにネットワーク設計できるプラットフォーム)を使って勉強してもらいます。自宅で自主学習できるデジタル教材として提供を始めています。

自宅で学んだあとは、時々研究室に来てもらい、「こんなBMIがあったらいいな」という提案をしてもらって、それを実際に作ってもらうということも行いました。

去年の春は、研究室近くの目黒川で、脳性麻痺の大学生と慶應の大学院生たちとで、BMI技術を搭載した電動車椅子を動かして、一緒にお花見をしました。この電動車椅子は、自動車の自動運転のような自律走行機能と、脳波を読み取り操作する機能の2つを組み合わせたものです。本人の脳波を分析して行きたい方向に走行できますが、車椅子にはセンサーが搭載されているので、人やモノが近づくと、ブレーキが踏まれたり経路を変更したりしながら、衝突を回避してくれます。

障がいによって運動や判断が制限される人でも、他の人と同じ環境の中を動いたり楽しんだりできる技術で、実際のお花見では、目黒川沿いを歩き出店で食事もしましたよ。

その人のできること・できないことを、AIやBMIで補っていくような、人間に優しいテクノロジーをどう設計するか、技術と人間の調和の仕方を日々研究している感じでしょうか。

医療技術ではもう回復が見込めないという人の、できなかったことができるようになる、人間に寄り添った優しい技術、希望のある技術としてBMIを育てていこうとしているところです。

BMIで実現する未来について

BMIの研究において課題はありますか?

懸念していることの一つに、優生思想に基づいてBMIが使われることが挙げられます。例えば、こんな脳反応をする子どもは勉強が得意だろう、という発想のもと、クラス全員がヘッドセットをつけて、集中できている子や伸びしろがある子を判別する、というような使われ方は避けたいです。倫理的問題がありますし、社会的な受容のあり方を、慎重に議論しなくてはいけないと考えています。

BMIに限らず、新しいテクノロジーは、その内容に刺激を受けた人間の受け止め方や発想が問題になることも多いです。いわゆる過剰反応、誤解の蔓延です。社会の中で新しいテクノロジーがどう使われていくべきか、早い段階から建設的に議論を進めていくことが必要でしょう。

BMIの技術が、教育現場に変化をもたらすことはありますか?

前述のBMIブレインピックのようなプラットフォームを使い、デバイス一つでアバターをコントロールする体験は、教育現場でも大きな学びに繋がると思います。

障がいがあってもなくて、療養中で学校に来れない子でも、海外に住んでいても、テクノロジーを使って繋がれるという体験をすることで、多くの学びや気づきが得られるものだと思っています。「障がいとはこういうものです」などと授業で聞いてノートをとる一方通行の勉強とは違った、手触りのある当事者感覚が養えるのではないでしょうか。

AI・テクノロジーが身近な時代の子どもたちへメッセージをお願いします

牛場潤一先生正面写真

子どもたちには、ちょっと気になるものや、なんかワクワクするものに出会った時に、恥ずかしがったり怖がったりせずに、「まずは一回やってみたら?」というメッセージを送りたいです。「これやってみたい」「あそこに行ってみたい」と保護者の方に伝えて、未知なるものを楽しむ気持ちで、どんどん飛び込んでほしいですね。

その際、保護者の方は自分の体験や子ども時代の感覚に引っ張られて「これはいいよ」「これはダメだよ」と言い過ぎないことが大切かなと思います。それは我々が子どもの時と価値観や技術は大きく変わっているからです。また、親の経験や体験は所詮一つのストーリーでしかなく、それがすべての正解ではないはずです。子どもにはその子のストーリーがあることを忘れないでください。大人が忘れてしまっている、子どもにしかない“みずみずしい感性や感覚”を大切にしてほしいですし、子どものやってみたいというナイーブな心が動く瞬間を見逃さず、背中を押してあげられるといいのかなと思います。

牛場潤一先生を詳しく知りたい方はこちら

慶應義塾大学理工学部生命情報学科ウェブサイト:http://www.bio.keio.ac.jp

牛場潤一研究室ウェブサイトhttps://www.brain.bio.keio.ac.jp

株式会社LIFESCAPESウェブサイト:https://lifescapes.jp

編集部コメント

「脳科学とAI」という専門的な研究分野のお話を、とてもわかりやすく教えていただきました。牛場先生が開発されたBMIの医療機器によって、脳卒中後の麻痺が改善するというお話は、近未来の話かと思うほど衝撃を受けました。障がいや病気で制限を受けている人の未来を変えられるBMI技術の今後の発展がとても楽しみです。